027_SOMEWHERE IN TOKYO
TEXT, 2024
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周辺環境に散らばる色
板橋区の某所に降り立つと、昭和の雰囲気が漂うポップな色彩が目に飛び込んできた。パステルでも原色でもないような、それが元々なのか色褪せたものなのかさえもわからないような絶妙な色が至るところに存在していた。 東京の北の方(新宿よりも北)に来るといつも感じる、下町っぽい雰囲気(あんまり得意ではない)があった。 そんな第一印象の街に建つ住宅がどんなものなのか、事前情報もほとんどなかったため楽しみな気持ちだった。住宅地を歩いていくと4叉路に辿り着き、その先の道沿いに3階建てのグレーの建物が見えてくる。
建具だらけのいえ
重厚な開き戸を開けて玄関をくぐると奥行きのある靴箱やクローゼットなど収納のためのスペースが出迎えてくれる。階段を登り2階へ行くと、天井まで伸びる巨大な引き戸が目に入る。小上がりの天端に敷かれたレール上を行ったり来たりしながら日差しを遮ったり、リビングのこちらとあちらを作ったりしていた。3階は主寝室、子供部屋がヲークインクローゼットを介して連なる構成で、2階同様、遮光紙が貼られた襖のような引き戸が南側の開口部についていた。遮光の障子紙が貼られた引き戸を全て閉じると、昼間とは思えないほど室内が暗くなり、カーテンの役割を果たしていることを時差的に知った。 カーテンという柔らかいもので仕切るよりもなぜか空間が広く感じられた。 カーテンというエレメントが、揺れ動く布の軌跡で室内の輪郭をなんとなく定義するようなものなのだとすると、壁のように揺らがない存在としての引き戸は、空間の大きさを内側にセットバックさせずに内外を仕切るものという解釈ができるなと思った。 修了制作で建具だらけの住宅を設計していたので親近感があったのと、実際に建具だらけの空間が立ち上がるとこんな感じになるのかという答え合わせ的な気持ちで終始見てまわっていた。通常の建具よりもスケールアウトしているものが多い印象だったが、必ずしもそれが使い勝手の悪さに直結していなかったのは意外だった。
建築が動くこと
自身の話をすると、当時は建築という動くことのないものが建具などの可動オブジェクトによって物理的に動きだすことに可能性を感じていた。引き戸や開き戸で家族が一堂に会する場所が現れては消えるような実家での原体験がそうしたら建築観の一つを形成しているのだと思う。 動くことの可能性を感じた理由は、東京の風景をみたことから来ている。東京の風景を見たときに、建物の上部が斜めに削り取られていたり、隣接する建物との隙間が人が通れないほどの幅だったりと、とにかく窮屈な印象を受けた。東京で暮らすようになる以前から、東京という都市がそういう場所なのだということは知っていたので当然といえば当然なのだけれど、実際に敷地の周辺環境を観察していると想像以上に人と人との暮らしや、人の往来との距離が近接していることに衝撃を受けた。東京で暮らす人たちは、私的な空間や時間を公的な空間からなるべく切り離すこと、敷地境界線の内側で可能な限り内部空間を獲得することを選択し家を構えているんだなと、当時は感じていた。 一方で、公的な空間に対して意外なほどに物がはみ出して置かれていたりもしていた。道路ギリギリにある住宅の壁面に梯子がかけてあったり、植木鉢が歩道に置かれていたりといったように。建物としては建築法規限界まで建てた上で、さらに自らの領域を拡張しながら獲得しようと奮闘しているようにも見える。しかもそれがなんとなくそういうものだというように容認されている状態も面白いなと思っていた。 きっと誰かの所有物であるはずのそれらは、気付けば風景の一部と化し、もはや誰のものかも分からなくなっている。そんなグラデーショナルな状態と、建具が空間の中で移いながら諸室というカテゴリーに属さないことに共通項を見出し、閉じるか開くかという0か100かの状態ではない、いずれの要素がグラデーショナルに混ざり合う状態を作れないかということをフックに設計を始めたことを、今この文章を書きながら思い出した。 最終的な成果物として、直接人の姿は見えないけれど、可動オブジェクトが移ろうことにより確実にそこに人の暮らしがあることが分かる状態を作り出す、といういわば現象としての住宅を2つ設計した。 実際に作るとなれば、人間が扱えるスケールや重量、巨大な建具を成立させる機構や構造、コストなど実現性のハードルの高さは計り知れないが、建築が動くことの価値について考えたことを実空間体験を通して再考するきっかけになったのはとても意義のある時間だった。
モジュール
3階に登る階段の脇に紙の束で覆われた腰壁が現れる。装飾にも見えるそれは120角の柱と梁の間に差し込まれた本棚だということが反対側から見るとわかる。 柱梁のモジュールである120mmの奥行きに対して、t2.1mmのプレートを曲げたものを柱間に差し込んで裏側からビスで固定するという簡易な造作の棚だが、これが最も印象に残った。施主が持つ多くの書籍を住宅内に点在させるようにして収納するという方法を考えているという意味で、かなり参考になった。 奥行き120mmあれば文庫本は余裕で収まる。漫画サイズは10数ミリ端部が飛び出してはいたが、気にならない程度だった。本棚としてではなく、本の居場所が腰壁という建築のエレメントと溶け合っているような感じだった。
おわりに
敷地の周辺で見たビビッドな色と住宅内に散りばめられたパステルな色とが、関係性がないようでありそうで、映画を見た後に考察するみたいな感覚だった。 空間の要所要所に意図を説明するためのスケッチが置かれていて、実空間と設計時の思考の痕跡とを交互に見ながらこれもまた答え合わせをしているみたいだった。オープンハウスという仕組みや空間体験そのもののデザインもまだ開拓の余地がある気がしたし、新しい試みを実践できるチャンスだなと思った。
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都内某所
テキスト
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